光月おでんとはワノ国の元将軍であり、赤鞘九人男の主君でした。
その光月おでんはオロチと四皇カイドウによって打ち取られました。
そんな光月おでんのモデルとなった人物はある有名な武将ではないかと言われています。
その武将とは一体何者でしょうか。
そして、後に将軍の座に就くオロチとの関係は何でしょうか。
今回はワノ国の将軍であった光月おでんのモデルとオロチとの関係について考察します。
光月おでんのモデルは?
光月おでんのモデルとされる武将は一体誰でしょうか。
その武将とは、織田信長とされています!
そう予想されるにはいくつかの理由があるのです。
性格と歴史的流れ
家臣であった錦えもんがいうには、おでんの性格は「実に破天荒」と言われるもので、自由奔放であったのです。
幼い頃から暴力事件を繰り返し起こして、父親であるスキヤキに花の都を追い出されるほどでした。
織田信長の愛称でもあるうつけ者ということですね。
おでんはその後、九里に住み着きますが、治安が悪くどうしようもない場所です。
その時、九里を治めていたのが大悪党のアシュラ童子で、それを倒しました。
自由奔放ながら力を併せ持つところはまさに織田信長そのものですね。
そして九里をワノ国一の活気ある街に仕立てました。
まさに天下統一を成し遂げたというところに重なります。
織田信長の愛刀
織田信長が愛刀としていたのは「童子切安綱(どうじきりやすつな)」というものです。
源頼光が伝説の鬼である酒呑童子を倒すために用いられた天下五剣の一つ。
この剣はアシュラ童子のモチーフとされており、おでんとの関係性を考えると主従関係となります。
アシュラ童子は赤鞘九人男の一人でおでんに仕えているので、懐刀と思うこともできますね。
光月"おでん"という名
もう一つ面白いのは名前遊びとなります。
おでんという名前はひらがな表記となっていますが、少し工夫するとなんと織田になるのです。
織田→織"でん"→おでん
偶然にもと思われそうですが、そういうところで遊ぶのも作者の考えにはありそうです。


光月おでんとオロチの関係
光月おでんとオロチの関係はなんでしょうか。
全く関係のないオロチが将軍の座に就いたと考えることもあり得そうですが、恐らく何か関係はありそうです。
おでんを織田信長ととらえるのであれば、オロチは明智光秀でしょうか。
明智光秀と言えば、織田信長に仕えていましたが謀反を起こした張本人。
オロチはもともとおでんに仕えていた家臣の一人、もしくは同志だったのかもしれません。
それが自分がトップに立ちたいという考えから謀反を起こしたのでしょう。
そう考えると、明智光秀といえば"三日天下"。
すぐに座を下されることになります。
歴史的に見ればその人物は豊臣秀吉であり、まさしくルフィのような感じですね。
豊臣秀吉はその昔"サル"というあだ名がつけられていましたが、まさかのモンキー・D・ルフィと重なるではありませんか!
二人の関係性は間違いなさそうですね。
まとめ
以上、光月おでんのモデルは「織田信長」で、オロチとの関係について考察しました。
光月おでんのモデルは日本でも有名な武将で間違いなさそうですね。
オロチとの関係性もこれから明るみに出るかもしれませんので、敵ではありますが要注目です。